とある旅人の人生の軌跡

なんか色々な私生活書いてます

車を運転するということ

この前のすすきのの時と比べると別に大した内容の記事ではないけれど、

車の免許を取るまで、そして取ってから何が変わったかを書いていきます。

 

車の免許を取りに行くまで

別に車の免許なんて国民の大半が持っているものだと思うし、持っていて当然だと思う。

なんて大学生になる前までは思っていた。

いざ、大学生になって免許を取ろうと思ったらその金額にぶったまげたもんだった。

28万…。

うーん、これはどうにも一人じゃならないぞ…。

そんな思いを持ちながら六年半大学生をやってきた。

日本全国47都道府県を渡り歩いて来たはずなのに、運転免許を持っていないという話をするといつも驚かれていた。

じゃあ、何でそんなに色々行って来たのか。

バスと電車と徒歩で全部やって来たって言うとそれもそれで驚かれた。

次のバスが来るまで4時間待ちだから折角だしバスづたいに10km歩こうかとかもやっていた。

しかし、こんな不自由した旅も二回目の4年生で転機が来た。

就活も決まって、取引先が全国にある会社に内定が決まったのをいいことに親に一世一代のとんでもないホラを吹いた。

「就職先で卒業までに免許がいるんだけど…。」

実際、就職してみて必要であることは身にしみたのだが、しかしまだこの段階では本当に使うことになるなんて思っていなかった。

流石にこれには親も渋々承諾。晴れて親と自分で折半して免許を取りに行く許可を得た。

 

教習所の思い出

思い返せば教習所では色々あったなあと思う。

まず、初めて車を運転した時は普段遅いやんとか思ってた30kmが異常に速く感じた。

いや、これこのまま突っ込んだら死ぬんだろうなーとか思ってハンドルを握っていた。

今じゃそんなことも気にせずやれ首都高だなんだをガンガン走っているがあの当時は最高に怖かった。

教官には色んな人がついてくれたが、一番印象的だったのは薬剤師をクビになって教習所のおっちゃんだった。

なんでも、薬剤師になるきっかけは爆弾を作りたかったらしいが、世の中末恐ろしい人もいたもんである。

それでもってやれプログラミングだ設計だができるのに教官をやっているってんだから面白い。

あとはS字クランクをとんでもない勢いでバックで戻す教官にもあっけに取られた。

あの当時、あれをやるのは正直今の大学受かるよりも難しいだろうって本気で思ってた。

なんなら今でもそう思っている。

運転で飯を食える人はやっぱりすごい。

教官にパワハラされたり、事故りかけてめっちゃ怒られたのも覚えてる。

(注意散漫になっていたのもあってポールにぶつけそうになった。ハンドルに手をかけられてそのあとめっちゃ怒られた。)

そんなこんなで卒業試験を迎える。

この時卒業試験は落ちれば次の卒業試験を受けられるのは相当先。

絶対に落とせない卒業試験だった。

 

路上もなんなくこなし、教習所内に戻ってきた。

最後に方向転換の試験が始まった。

ここまでの持ち点はおそらく95点、普通にやれば受かる。

(方向転換は一度凹みを通り過ぎてバックで凹みに入れて元いた方向に戻す試験)

今まで一度もミスったことはない。大丈夫。絶対いける。

そのはずだった。

 

メリッ

 

鈍い。ハンドルが鈍い。

縁石に右前のタイヤがぶつかっていた。

書かれる脱輪(小)の減点。

冷や汗が止まらなかった。

今まで一度もミスをしたことがない分復帰の仕方なんてわからなかった。

 

もう一度元来たように体勢を立て直す。

同じようにバックをする。

右前の前輪が擦れる音がする。

このままいけば確実に乗り上げることは間違いなかった。

 

もう一度、いけば大丈夫。

自分に言い聞かせた。

しかし、その心の声は届かなかった。

ゴムとコンクリが擦れる音が響く。

 

そして教官から告げられる。

「次前出てダメなら失格ね。」

この時多分大学の第二外国語で絶対落とせなかった落とせば留年確定のドイツ語検定と

同じくらいの緊張感があった。

 

ゆるりと下がる車体。

さっきよりも深めに、でも慎重に。

頼む、擦るな…。

 

願いは届いた。

本当にギリギリだったと思うがなんとか方向転換を終了した。

しかし、教官は冷たく「これで終了です。結果はあとで通知します」とだけ伝えてきた。

いや、待て待て縦列駐車ってこのあとあるんじゃなかったか?

(実際、どちらか片方なのだが頭が真っ白で話をまるで聞いてなかったこともあってここで本当に試験が終わったと思っていなかった。打ち切りだと思っていた。)

「俺、ダメだったんですか。」

「結果はここで伝えることはできません。」

まあ、ですよね…。

ああ、これからどうしようかなあ、神奈川から稲毛まで来なきゃいけないのか…

仕事もはじまるしもう取りに来る余裕もないなあ…

絶望に打ちひしがれながら運命の結果発表。

そこには、ないと思っていた番号があった。

もうめちゃくちゃ泣いた。たまたまそこにバイトの後輩もいたのだが普通にびっくりしていた。

正直、大学の合格発表より泣いた。

回りくどくなってしまってすごい申し訳ないが、とにかく卒業試験を突破するのは

いつもと同じ気持ちでやるのが一番っていうことだけだと思う。

今思い返せば別に何も大したことはしていないし、何なら泣きたい道に比べれば全然楽勝だった。

 

VS.免許取得

ここまで教習所で仮免→卒業試験とやってきて、ついにラスボス。

警察で免許を取得するための試験が週2日あるのだが、それに受からないといくら教習所で受かろうが意味を成さない。

最初の一回目はどうせ受かるだろうと思って勉強をしなかった。

落ちた。

いやいやいやいやwwwwww

国家資格受かって免許の試験落ちるとか…嘘…だろ?

冗談抜きで思った。

もう、免許取るのってどんだけ難しいんだよ、千葉大受かるのより難しいじゃん。

 

そのあと一週間問題集を買い込んでバイトの合間を縫って死に物狂いで勉強したのを覚えている。

そしたら今度はちゃんと受かった。

正直、警察署に行くのは死ぬほど面倒だし時間も金も何もかもが無駄なので

みんな金はケチらず参考書買ってきちんと勉強しようね!!!!!

 

こうして免許を取得するに至ったのである。

 

免許を取得してから

初めて遠くで車を運転したのは波照間島だったと思う。

下手に人がいない分ものすごい運転のいい練習になった。

昔ならひいひい言ってたであろう坂道も車があればあっという間だった。

自転車で一周してやっとこさだった観光も隅々まで見れるようになった。

 

その翌日の西表島では往復で100Km弱走り倒したし、

翌々日の石垣島も車でしか行けないところに沢山行った。

おかげでとんでもない絶景に巡り会えたし、車の免許をとってよかったと心の底から思えた。

 

あと初めて車を運転するのであれば田舎道の方がいいっていうのは本当だと思う。

信号もないし、車の通りもそこまでないからあんまりふざけた運転をしなければ

周りの迷惑になることもないのですごくいい練習になると思う。(山道は別)

 

かれこれ1年間でコロナもありつつ本当に色んなところを走ることができた。

総じて思うのはやはり車が運転できるというのは旅するにおいてとんでもない

アドバンテージである。

バスだととんでもなく時間と金がかかるところでもレンタカーを借りればそれよりも安く早くつけるなんてことはザラだし、何より時間を有効活用できる。

やっぱり、車は最高に便利な乗り物だと思う。

 

ただ、同時に元のバスや電車しか使わない旅に戻らないかというとそう言うわけではない。

今こうして車に乗っているからこそ見えてくるものもあった。

昔は、バスが走っているのになんでみんな乗らないんだろうとか思っていたけど

実際あの不自由さは生活という観点を考えれば車の方がずっと楽だと今なら思う。

 

ただ、旅をしているときにこの便利さは時に邪魔だなと思う。

自分が行きたいと思えば大体行けてしまうようになってから旅に味気なさを覚えるようになった。

旅には色んな楽しみ方があると思うが、時に不自由さを楽しむことも旅の一つとして楽しんでいたのかもしれない。

そういう意味では車に頼りっぱなしというのはきっと違うんだと思う。

4時間に1本しかないから歩こうかとか、まだバスがくるまで1時間あるから散歩しようとか、夜の闇と何者かに襲われる恐怖に怯えながら待つバスや電車とか、何も考えず飛び降りた駅で時刻表を眺めて次はどうしようとか。

そうして車から降りてみたら、案外と違ったものが見えるかもしれない。

車だからできるもの、車ではできないもの。

きっと色々あると思うので、是非この記事を読んだ人は免許をとって欲しいとは思うけど、とってからみる日本と免許がない日本はきっと見えるものが変わるはずなので

是非旅してみて欲しい。

 

あと、これは初心者に言いたいけど

運転に慣れるまでは面白半分で酷道とか行かないこと。

初心者だと来たはいいけどもはや引き返せないみたいな事象は平気で発生するし

日原鍾乳洞紀州で二回それをやって本当に死にかけたので

道の下調べはきちんとしてから行こうね!!!!

多分房総は大丈夫だけど!!!!

 

以上この1年間車を通して学んだことを書き綴ったしょうもないアドカレ12月17日分でした。